科学的方法とは一般的に知識を得るための経験的方法と定義されています。経験的方法はある人々が経験を通して知識を得ることです。現在人間が得ている知識のほとんどは、科学的手法で得たものと言えます。

たとえば地球が丸いことをどのように知ったでしょうか。教科書に書かれていることを、そのまま信じています。学校で習うことを疑う人はほとんどいません。しかしほんの数百年前まではだれもそのことを知りませんでした。中世には地球が球体であることを唱えた科学者がいましたが、笑いものにされた挙句破門されることにもなりました。愚かなことを唱える、頭のおかしい人だと烙印を押されたのです。地球の形を知るためには、地球の外から見ないとわかりません。観察をすることは一つの科学的検証のひとつです。結局科学者たちの絶え間ない研究と観察により、非常に長い時間をかけて地球が球体であるという結論にいたりました。宇宙から地球を撮影した写真が入手できたのは、ほんの数十年前のことです。それにより地球が球体であることが疑問の余地なく実証されました。

科学的方法はこのように、仮説を立てて観察してデータを分析することが含まれます。当然ながら最初の仮説が間違っていることもあれば反対の結果になることもあります。当時は最新だと思われていたものが、あとになれば滑稽に思えることはあるものです。科学的手法の特徴は、再現できるということです。再現できることで、ある説が正しいことを証明することになります。しかしすべての説を検証することは不可能です。たとえば反物質を使ってエネルギーが物質を作りだすことを科学的検証で行うことには難しいと言えます。

実は経験的方法で得た知識には限界があります。それはいくら頭の良い人であっても、普通の人間です。その上天才や秀才であったとしても、古人が築き上げた知識を取り入れているにすぎません。もし科学的方法によってのみ、物事を探求しようとするなら必ず壁にぶち当たります。さらにはいわゆる科学的手法で得たことでも、真実であるとは限りません。仮説にこじつけたように思える科学的検証は山のようにあります。たとえばフランスの科学者パスツールは、微生物から生命が誕生することを実験室で再現できたと言っています。忘れてはならないことは、生命の材料を用意して混ぜ合わせるという作業をした人がいたということです。ではいわゆる微生物に働きかけた人は誰をあらわすのかは答えが出ていません。